2010年12月23日木曜日

この年末年始。
とりあえず「ペスト」を読んでから、「存在の耐えられない軽さ」と「ファウスト」を再読する。
ファウストもきっと今読めば面白く感じられるはず。


追記
「ペスト」面白いけど、まったく別のことが意識と言うか心に引っかかる。
ため息もでるでる。ブログを三つも更新したのもその所以でしょう。
閉めたはずのドアの隙間から忍び寄るのは「憂鬱」だ。
ファウストの最後のほうを思い出す。
僕がガムを口にしない理由、あるいは冷めた恋愛との親和性。

ガムの噛み始めは甘く美味しい。
そしてこれがずっと続けば良いと思う。
しかし、ずっと噛んでいると甘味が失われていく。
甘味を見つけるために噛み方を少しだけ工夫したりもする。
その努力も空しくガムは次第に無味なものへと変わってゆく。
と言って無碍に吐き捨てると口寂しくもなるし、
新しいガムも直ぐにはいらなかったりもする。
それを吐き出すにはタイミングと言うものが存在したりもする。
そのきっかけが訪れるまではとりあえず噛み続ける。
場合によっては、もう吐き出したいと思っていても銀紙やティッシュの不所持によって、
そうすることが出来ずに噛み続けるしかないこともある。
ドアに詰めた小指が痛む。

確かにそのドアの閉め方はずぼらな方法だったかもしれない。
だからと言って別にうっかりしていた訳でなかったと思う。
誰でも過去に一度や二度は指を詰めたことがあるはずで、
ドアというものは指を詰めるものだと言う認識を持っている。
だからその瞬間に僕はいくらかの用心をこさえていた。
しかし用心と言うのは想定しうる未来に対しての配慮であるということ。
それを僕は知らなかった。
僕の想定Aに対して行った用心Aが結果Aとして現れてくれたとしたら、
僕の指は無事だったのだけれど、現れたのは結果B。
つまり僕の指はドアに挟まれ、血が流れた。

痛い。

2010年12月12日日曜日

しょっくー
他人の不幸せってのもなかなか辛いもんがある。
せっかくのバージンロードも、その遠近法に哀寂が漂っていました