2010年6月13日日曜日

アッシジ日記

僕が朝の7時過ぎに、確か45分にマックに寄ったのは、そこが待ち合わせの場所だからだ。
僕が待っているのは、Miukという女の子だ。僕が待っているのは、その前日か、そのまた前日辺りに約束をしたからだ。あるいはもっと前だったかもしれない。
Miukが既に僕を待っていたからと言って僕が時間に遅れたとは限らない。
列車の出発時刻は8時何分かだ。
僕はマックで朝食を買う。並んで買う。そして買った。
おや、マックラップとコーラSの会計が4.5ユーロだ。
マックラップのセットはポテトもついて4.5ユーロなのに。

列車に乗り込み、自由席なのだから、僕はMiukの正面に座る。あるいはMiukが僕の正面に座る。
僕がマックラップのチキンを食べているのは、僕がマックラップのチキンをきちんと選んだからだ。
僕とMiukは話をする。あるいはMiukも僕と話をする。だけど、僕らは僕らの話をしないし、する。僕らが話したことを長々とだらだらとここに記さないのは、僕がその内容の大半を忘れているからだ。
覚えている話は僕らについての話だ。
MiukにはJohnという犬がいる。Miuk曰く天才らしい。ほう。
Miukが僕の隣に座る。Mikuは眩しいと言う。陽光が僕の正面に差し込んでいる。
列車が緩やかなカーブの後トンネルをくぐると陽光が僕らに対して差し込み始める。
Miukはまた僕の正面に腰を下ろす。彼女は自分は太陽に弱いと言う。僕はそれに返事をしたか定かではないが、恐らくアッシジまではあと一時間半はかかるだろう。つまり僕らは既に一時間は何かを話していたらしい。
僕たちのこと、あるいは僕たちのことでないことを話していたらしい。
MiukはAntonioはどこかに行ってしまえば良い、と言う、あるいは私が、と言った。そして僕は笑う。
つまりアッシジまでの到着時間が着実に近づいていると言うことだ。
アレッツォやペルージャを越える。窓の外は基本的に山であったり農地であったり川があり湖があり、まるで現代的な造形は見当たらない。その生活に必要であれば、自然生成的に発生するかもしれない。
必要ないものは本来必要ないはずなのに、いつのまにか必要なのかもしれないというような気になってくる。それも案外素敵なライフスタイルだと僕は思う。本当にそう思う。
Miukは手か目を失うことが有るなら私は死ぬだろうと言う。僕も恐らくそうだろう。
そろそろアッシジについてもいい頃だろう。

おや、気がつくとここはアッシジだ。
アッシジの観光地へ向かうにはさらにバスに乗らなければならない。

おや、気がつくとここは観光地だ。ここは駅よりも遥かに高い位置にある。
Miukは坂、段差が素晴らしいと言う。
僕らは地図を持っていない。
それでも大した迷子にはならない。Miukは自分の方向感覚は天才的だという。ほう。
歩く。歩く。歩いては写真を撮る。歩く。写真。
日照りはいよいよきつくなってきたぞ。
空腹がいよいよ近づいてきたぞ。

トラウマ。
Miukが、僕が以前の旅行でアッシジに訪れたときにありえないまずさのレストランに入ったことがトラウマだということを知っているのは、僕がそれをMiukに話したからだ。
さらにMiukが、僕が以前女の子に告白の際に“温泉卵くらい好きだよ”と言って振られたのを知っているのも僕がそれをMiukに話したからだ。それも嬉々として話したからだ。
僕は僕の話をする。
ありえないまずさのレストランは今日も繁盛していて、僕は何ともいえない気持ちになる。
あれは思い出か、トラウマか。
僕がきのこを食べないはある程度僕との付き合いがあれば分かってくる。
それでも僕はきのこであるトリュフを食べることは厭わない。あるいは絵にすることもある、それも少なからず。
この点、僕だって案外、きのこ撲滅運動などが起これば、嬉々として傍観せずに危機として立ち向かうかもしれない。
なにしろ、僕の目の前には独特の芳香を漂わせるトリュフのパスタが置かれているからだ。
なにしろ、そのパスタが良くできているからだ。
なにしろ、そのバスタが10ユーロであるからだ。
つまり僕とMiukはとあるレストランで昼食をとっているということだ。
以前のトラウマも、もはやトラウマ的思い出として、“温泉卵”のように嬉々として話し出すだろう。いや、既に嬉々として何度も話している。ほう。これを書いている最中に温泉卵とメールのやり取り。なんという偶然だろう。本当に偶然なのか?

食後の観光はだらだらだらしがないじゃないかMiuk。
そう言いながら僕らは一番有名な教会のベンチに三十分くらい腰掛け、MiukはAntonioは死ねばいいと言う。僕は笑う。ここは教会だというのに。ときどき、静かにしてくださいというアナウンスが流れても、僕らには無関係のように思えた。いや、思えない。それでもMiukはJohnは天才だと言う。僕は犬なんていうのは言語を持たない故に限界のある生物だと言う。MiukはJohnはそれでも天才だと言う。僕らはこんな話をする。ここは教会だというのに。
それから僕らは観光地の一番高いところへたどり着く。
暑さのせいで景色に対する感動も陽炎のようにぼやけて消える。

おや、気がつくつと、ここは帰りの電車の中だ。
電車に乗るまではタイトなタイミングになるかもしれないと不安を持っていたけれど、電車に乗り込むとMiukはAntonioは死ねと言ったかもしれない。もしかすると言っていないかもしれない。僕はそれを聞いた覚えがないからだ。
僕らの街まで二時間半。Miukは僕の正面に座りながら居眠りをする。僕を、あるいは窃盗を警戒しながら居眠りをする。あるいは僕の隣で居眠りをする。あるいは僕の正面で居眠りをする。
Miukの隣にメガネのおじさんが座る。
僕はMiukに犬の輪郭を描いてもらうために紙とペンを渡す。
メガネがちらちらとその筆の行方を追う。
僕がMiukからその紙とペンを引き継ぎ、表情をつけていく。
メガネがちらちらとその筆の行方を追う。
僕はMiukに紙とペンを再び渡す。
メガネがちらちらとその筆の行方を追う。
僕がMiukからその紙とペンを引き継ぎ、完成させる。
それをメガネにおもむろに渡す。
ミスター、その絵はミスターにプレゼントします、Mr.ミスター。
メガネとその連れ合いと会話が始まる。

おや、気がつくとここはフィレンツェ。

おや、気がつくとここは京都。

おや、気がつくとここは布団。

おや、おやすみなさい。