勉強だー。
そして仕事とは別に個人的に考えるべきは花とイラストの融合なのです。
立体と平面のバランス。
だれの言葉だ「死んだ立体から生きた平面へ!」って。
あるいは、なにかになれるまで
5月末、イタリアはフィレンツェに花の男現る。
ぼくが花の男になる前は、マスクという顔を隠すもの着用すれば、個の顔が消えることで、個人の意識から発生する羞恥心も消えると考えていました。ぼくらがぼくらと認識されるのは概ね顔に頼っていますからね。
なので、知り合ったばかりのAnsyに花のマスクを被りましょうと打診して、あっさりと拒絶されたぼくは愕然たる思いで、フィレンツェの乾いた風に吹かれて揺れるAnsyのライトブラウンの人工的縮れ毛を茫然自失と眺めていました(そういえばあの日はずいぶんと晴れた日だったっけ)。
―ここにそのやりとりが記されている。ここではAndyが主体となっている―
「顔を捨ててみませんか?なに未来永劫捨てるわけじゃないですよ、ほんの小一時間ですよ。」
五月末、地中海の優しく乾いた風が私と眼鏡の男の間を吹きぬけた。
「顔を捨てる?つかめないな」そう言って、私はテーブルの上に置かれていたステンレスの灰皿の縁に目をやった。湾曲した私の双眼が私を怪訝そうに見つめていた。
「いえ、本当に簡単なことですよ、マスクと言うか、まぁ覆面ですね、それを被って街を歩いていただく。それだけです、もちろんその分の対価はお支払いするつもりですが」
「なんで、わざわざ私がそのマスクを被るんです?顔を捨てるなら、別にあなた自身でも問題ないわけでしょう?」
「それが分かっておられるなら話は早いと思うのですが…」
「だからこそ…つまりなぜ私なんだ、と思うんだよ」
「おっしゃる通り、あなたでなくても誰でも良いんですよ、結局のところ。でも、誰でも良いって事はあなたが適任であるってことでもあるでしょう?もしかして、なにか顔を捨てることに恥じらいを感じてらっしゃるんですか?」
「恥じらい?そりゃ少なからずあるでしょ、それは当然だよ」
「まぁおっしゃることは分かりますよ、ただそれは顔を有しているからそう感じておられるんですよ。顔がないんだから、誰もあなたをあなたと判別できないでしょう。それならどこから恥じらいが発生しますか?顔を無くした瞬間からあなたはあなたでなくなり、誰でもない者になるんですよ」
「それでも自分がマスクを被っている事実は変わらないよ。そうなれば自意識が行為に追従するでしょう、そこに恥じらいが生まれてもおかしくはないさ」
「そうでしょうかね、むしろ顔を持たないことで行為の範囲はいくらか広がりますよ、なにしろあなたはあなたでないのですから。その広がりはあなたの力ではなくマスクが生む力ですよ。川面をすべる木の葉のようにマスクの力に身を任せてしまう方が変な恥らいも生まれませんよ。恥じらいってのは往々にして自意識からの発生でしょう。その自意識はどこから生まれるかと言えば、自分が自分であることの違和感でしょう、これは自己的な自意識ですね。その違和感も案外、顔を有しているからなんじゃないでしょうか。つまり顔が個を大きく決定づけていると。そして顔という個があるからこそ他者と繋がってしまう。そこから他者性の自意識が芽生える。顔がなければ他者との繋がりも消え失せるんじゃないですかね。」
「よくわからないけど、どれだけ言葉を並べたって、やはりそれは君の言葉だよ。私の考えには成り得ないよ。」
「もちろんです、僕の言葉です。無理やりに押し付ける気はないですよ。ただ、魅力的だとは思いませんか、その誰でもない者になるとうことは…ぼくたちは生きている限り顔に言動を規定されてしまうんですよ。匿名性になると誹謗中傷だって平気な精神性を持ちあせているんですよ。それを皮膚で包むと非常に現世的な聖人君子が出来上がってしまうんですよ、つまりマスクには別人格への足がかりなんですよ、それがさっきも言った行為の範囲が広まると言うことですよ」
「そんなこと言ったって、マスクを着脱する際は君かその知り合いがいるんだろう、それじゃ私は私を捨てきれないよ」
「だからと言って一人でやるにはまだ勇み足でしょう?」
「よしてくれよ、そういう揚げ足を取るような話の進め方は。やらないよ、私はやらない、いや、できないよ。」
初対面のMiukに手伝いの打診をしたときも、あのくりっとした目に怯えみたいなのが浮かんでいたように思うし、もちろんぼくもそれが当然だと思いました。
半強制的なぼくの誘いにMiukがぼくの手伝いをしてくれることになったのは悲劇か喜劇かわからないけれど、刺激にはなるだろうと、ぼくは一方的に感じていました。
Ikdの二人は、彼ら特有の距離感からわりと快く引き受けてくれた様に思います。周知の通り旧知の仲でありましたから。
ぼくは花の男になる為に花の大聖堂付近の路地でマスクを被る。
そして、ここから先はぼくでなく花の男になったのでした。
変身のその姿をReoと名乗るレストランの店員に目撃される。
「Hey Boy、なにやってんだYO?」
「一緒に写真撮ろうぜ」
「Wow, Hey Men No3Qだぜ」
「かまうもんか」なぜなら…
「No!Fuckin’boy また今度だ See you あげいん」
「かまいやしない」なぜなら花の男は顔がないのだから。
Reoはメニューボードに顔を隠して、お互いの顔が不詳のまま記念すべきシャッターが切られた。
それから大聖堂正面へ向かい歩いていく。
「わお、なんという視線の冷たさ。マスクの中はこれほど暑いというのに。
なぜ…まさか…こんなはずじゃ…もっとちやほやされるはずだったのに… 」
マスクによって押し殺されたはずの羞恥心が発芽する、あるいは発牙して、花の男の心を噛む。 噛み痕から花の男の心情が漏れてくる。まるでもんじゅのナトリウムのごとく。
マスクがぼくに“もっと歩け”と囁いている。
「にげちゃだめだにげちゃだめだにげちゃだめだ…
逃げるどこへ?マスクを被ったまま?顔のないものを裁くことができないけれど、それは無罪でも有罪でもなく、裁判はこの地上で際限なく広がり続ける。
そして地球が丸くなって以来ぼくの踏み出す一歩が世界の中心になるのだから…
だからといって=価値の中心になることではないことくらい明白に分かってはいるのだが…もちろん、諸君がどう思おうとぼくの知ったことではないのだが…
結局、ぼくが逃げ出さないのは…ちぇそんなことどうでもいいじゃないか…
なに今すぐ、マスクを脱いでやる…裁判を終わらせてやる…!」
いうまでもなくぼくはマスクを脱がなかった。