2011年10月25日火曜日

パート2

その後は配る花はなくなったけれど
それぞれの顔なじみの店に顔を出すことに。
なんとなくオフショット的な感じで。
















FRAPBOIS
我流居酒屋 海月
biji
ISELY

ゲリラ的な訪問にも、みなさん嫌な顔をせずに迎えてくださりありがとうございました。

またどこかでフラワーマンが出没したらそのときはよろしく。
10.19の花ゲリラの様子を振り返る。

用意した約400本の花(Cocks-comb・ケイトウ)











衣装協力のセレクトショップ印、裏寺店の店長さんと記念撮影。























その記念撮影していると4、5人の人だかりが。
花を配った人からはサインをもらう。























そして街へ繰り出すフラワーマン
この画像でなぜかビートルズが連想された。









修学旅行の女学生に囲まれるフラワーマン一号
やる前からある程度予想はしていたけれど、
傾向として、集団の女の子たちからちやほやされることが多い。
4回ほど、うら若き女学生から囲まれた。












外人に断られるフラワーウーマン
スルーされたり断られると割とマスク越しにもなぜか恥ずかしい












しかしゲリラ的な花に喜ぶ人も。





そんなこんなで約1時間半で、
用意した全てのお花を配ることが出来た。

お花がなくなった時点で印に戻り、衣装チェンジ。
チェンジと言うか自前の服装で再び。
そしてパート2へ続く。

2011年10月24日月曜日

いっつ まい エポックメイクアタック

明日、パフォーマンスについて書きます、更新します。
いつも、その文体に悩まされる。

花のこと。
こう言った非対称的なデザイン。作った自分としては良いと思う。
そして、なによりお客さんや受け取る他人が驚かせる様な面白い花を配置していきたい。

2011年10月21日金曜日

花ゲリラvol.2

来週、今回のパフォーマンスのまとめ記事を書きます。

2011年10月20日木曜日

2011年9月3日土曜日

なにかと

集中力がない。
読みたい本などたくさんあるというのに。
バベルの塔かしら。

明日の仕事を忘れて耽るのだ。明日も仕事だと言うのに。言うのにね。

さあさあ。

2011年7月27日水曜日

数日前、「コクリコ坂から」を観てきた。
昭和と言う時代のノスタルジーってやつなのね。
しかし、このノスタルジーってのは何なんだろう。

辞書にはこう記してある
ノスタルジア【nostalgia】
異郷にいて、故郷を懐かしむ気持ち。また、過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち。郷愁。ノスタルジー。「―をおぼえる」


異郷にいて故郷を懐かしむのは分かるけれど、まるで体感したことのない1960年代に僕がなぜ郷愁なるものを感じるのだろう。というか感じているのだろうか。
まあやっぱりメディアからの影響なんだけど、その時代を体感していないにも関わらず何か大事なものを失くした様な感覚が僕の中に頭も擡げている。
何も失っていないこの喪失感をノスタルジーと呼ぶ?
あったことは知っているけれど、今はもうなくて、それをどこか惜しむ気持ち。
これは懐かしさなのだろうか。

ところで生きているってことは時間の流れの中の最先端に居ると言うことで、過ぎ去った時間にいくらかの名残を抱いてしまうのが、空腹ではないけど、満たされてもいない文明的現代人の僕の性質なんでしょうか。

ついでに生半可に去勢されて生きている僕としては、作中にあった学生運動のようなバイタリティを見せられると、本能の残滓が疼くけれど、それだけでおしまい。
だから、未開の地の人々が近代化を目指して、自分たちの歴史を書物上の出来事に追いやる行為、彼らが投げ打とうとするその生活が宝箱で、獲得に熱を上げるのはありふれた木箱でしかないと言うことを歯痒く思うのも、やはり僕が柔らかい土地から眺めているからだ。

そう、この感覚はノスタルジーや懐かしさと言うよりはないものねだりだ。
単なる羨みなのかもしれない。不可逆的なレアアイテムみたいな。
そうだよ、懐かしさじゃなくて羨みだ。
けど、彼らは文明に憧れこそ抱けどノスタルジー的な羨みはない。
それがいつの日か彼もまた書物になった彼らの文化を惜しむ日が来るだろうな。
だけど、望む望まないは別として人間は、過去には過去の、今には今の、そんな暮らししかできないんだから、仕方ない。

僕の場合は時代とか文明だけじゃなくて全部羨んでしまう。
ついでに恨んじゃう。